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はじめまして!学童野球の歩き方の管理人まっつんと申します。

私は小学3年生から中学3年まで野球をやっていましたが、当時の顧問から言われた一言で野球を断念しました。

もうお前は試合に出さん!

そう、「もう試合に出れない」という事実を意味する悪夢のような言葉は僕の野球を続ける意欲を刈り取るには十分すぎるインパクトだったのです。

とはいえ、野球を挫折した僕でも、今度はわが子と夢を追いかけていくつもりです。

もちろん挫折した時の経験から学んだことも多くあったので、まずはどんな挫折をしたのかをお話していこうと思います。

中学初めての試合で告げられた悪夢

僕が野球をプレイヤーとして過ごした期間は6年間とちょっと。

中学3年まで頑張ってみたけど、「もう無理だな」と野球人生の幕を下ろした決定打は冒頭の顧問からの言葉だった。

レギュラーではなかったし、とりわけ個性があるわけでもなかった。

身体は大きかったが、足も遅いし、打球もそこまで飛ばせるわけではない。

練習は休まず欠かさず出ていた。下手なりに頑張って取り組んできた。

下手だったから、なかなか試合には出してもらえなかった。初めて試合に出してもらえたのは中学最終年度となる3年春の練習試合だった。

代打を告げられ、嬉しくてうれしくて、ついつい笑顔になる。

やった!試合に出られた!よし!ヒットを打ってやるぞ!

と気合を入れるも試合経験の浅い僕はボール球に手を出して三振を喫する。

あ~せっかく試合に出れたのに。

悔しさもあったが、初めて試合に出れた嬉しさのが勝ってしまい、ついつい「やっちゃった~」というニヤケが表情に出てしまった。

その直後だった。

「てめぇ!!三振してヘラヘラしてんじゃねぇ!!もうお前は試合に出さん!」

「え…?ウソ。やっと試合に出れたのに、もう終わり…?」

結局、中学では引退が迫った背番号がもらえない人が出られる最後の練習試合まで僕の出番はなかった。

その最終試合で中学初ヒットとなるレフト前ヒットを記録することになったのですが、時すでに遅し。

僕の野球人生はあの試合を最後に幕を閉じていたのです。

弟はエリートコースを歩み、全国大会にエースで3番で出場

残念な中学時代の部活を過ごした僕は高校で野球をやろうなんて到底思えなかった。

高校は野球ではなく文化系の部活に入り、テキトーな毎日を送る道を選びます。

そのころ5つ下の弟は学童野球は佳境を迎えていました

彼は僕の真似をするように、小学1年生のころから少年野球チームに入部。

6年生になり、なんと全国大会である高円宮杯マクドナルドトーナメントにエースとして出場するほどの成長を遂げたのです。

それも僕が所属していた少年野球と同じチームで。

同じ環境でなぜそんなにうまくいくのかという嫉妬もあったけど、弟を応援したい気持ちもあったので、高校時代は弟のチームの手伝いに精を出すことにしました。

高校生にして学童野球にハマる!そのきっかけは?

下手くそだった僕が教えられることなんてないので、バッティングピッチャーばかりやっていました。

球は速くなかったけど、コントロールだけは自信があり、いい練習相手になったみたい。

高校生が真面目に投げてるのに簡単に打ち返す小学生。

「こいつら、すげぇな…」

そしてどんどん勝ち進むチーム。

レギュラーは固定され、勝つための野球を強いられていく頃、僕は控え選手Mくんの個人レッスンをしていました。

控え選手なので、なんとか試合に出たい!と思っているであろうことは同じ立場だった僕には痛いほどわかりました。

Mくんには僕と同じ思いをさせたくない、少しでも力になりたい、それが個人レッスンを始めたきっかけでした。

下手くそなのは自覚していたので、本を読み、バッティングの勉強をし、その情報をもとに選手に教えるだけ

理想のバッティングフォームを頭に入れ、その選手のフォームとの違いをみつけ、「もっとこうしたほうがいいんじゃない?」とアドバイスをする。

その結果、その選手はレギュラーにはなれなかったものの、バッティングに磨きがかかり、代打で少しずつ結果を出すようになりました。

この時僕は、子どもに野球を教えることの魅力と、正しい情報に基づく練習の大切さに気がつきます。

自分の時は本なんてロクに読んでいなかったし、自己流で誰も教えてくれなかった。

練習してさえいれば、上手くなれると思っていたのがそもそもの間違いだったのです。

逆を言えば、練習に加えて正しい知識と指導があれば、上手くなれる可能性は格段に上がる

自分もそうやっておけばよかったと激しく後悔したのは忘れられない思い出です。

そしてその個人レッスンをしていた選手の成長は最高の結果をもたらしてくれました。

感動の名シーン!教え子が見せてくれたキセキ

Mくんは全国大会2回戦、4対2で負けている最終回2アウト2塁3塁の場面で代打に呼ばれます。

僕は親にでもなったような気持ちでその打席を見守りました。

そして2ストライク2ボールの5球目、Mくんのバットから「キン!」という心地よい金属音が!

打球の行方を追ってみると左打席から外角のボールを流し打ち。

スライスがかかりレフト線を転々としているではありませんか!!

見事土壇場で同点タイムリー3ベースを放ったのです。

保護者は大盛り上がり!誰もが負けると思っていた状況の中、これまで控えだったMくんが起こした奇跡

僕は涙が止まりませんでした。

控えだったMくんの努力も見てきたし、一緒に練習してきたから。

こんな感動的な場面に出会える学童野球って素晴らしいな、自分の子どもにも同じような経験をさせてあげたいと思ったのはこの時からです。

この試合はこちらのチームだけダブルヘッターという不公平な日程、エースである僕の弟が力尽きたところでゲームセット。(当時はこういう理不尽がまだまだ残っていました。)

弟の頑張りにも感動したけれど、僕の中ではMくんの活躍が今でも嬉しくて思い出すだけで涙が出ます

僕の人生の中で一番感動した日だったと言っても過言ではありません

子どもにとっての野球環境の変化

僕は1986年生まれの38歳ですが、子どもの頃と今とでは野球環境は全く違いますよね

  • 公園でボールやバットは使えない
  • 地上波で野球中継はほとんどやっていない
  • 野球以外の娯楽がたくさんある

近所の友達と日が暮れるまで野球をすること、晩御飯の食卓で野球中継を見ることが当たり前だった時代とは大違いです。

大谷翔平選手というスーパースターが生まれた現在、野球をやりたいと思う子どもは少なからず増えているでしょう。

しかし野球を身近にプレーする環境がない分、保護者の後押しが必要不可欠だと思います。

さらに野球を挫折した僕から言わせれば、正しい指導を受けることは野球を上達する上で必須です。

現にあれだけ下手くそだった僕でも社会人になってから始めた草野球でエースピッチャーだったこともあるくらいです。ホームランも打ったことがあります。

知識に基づく努力や指導があれば、上手くなれるのは間違いありません

しかし野球チームに入れれば上手になると思っている人もいるかもしれない。

その考えが間違っているのは僕の挫折が証明しています

僕の親は野球経験がなかったので、僕の現役時代の失敗経験を踏まえ、弟の世代ではいろいろ本を読んで勉強していたみたいです。(もっと早く勉強して教えて欲しかったという気持ちはありますが、敢えて触れません。)

子どもたちが野球に興味を持って、できるだけ良い環境を用意できる方法は野球好きの保護者ならだれでも知りたいと思うんです

僕の長男は最近ようやく一緒にキャッチボールをしたり、野球中継を見たりしてくれて、興味は持ち始めていますが、良い環境や練習方法についてはまだまだ悩みの種です。

『学童野球の歩き方』サイト運営における目的

学童野球の歩き方というサイトを始めるにあたって、以下のようなテーマで発信していきたいと思います。

  • 野球の始め方(幼稚園~小学校入学まで)
  • 小学校低学年の野球
  • 小学校高学年の野球

特に最初は、僕も悩んでいる野球の始め方についての悩みを解決できるコンテンツを作っていきたいと思います。

僕自身が悩んでいることに対する解決策を調べて発信したり、先輩方の経験や解決方法などを教えてもらえる機会があればその内容もコンテンツにしていきたいなと考えています。

指導者の方からのアドバイスなども頂けるととても嬉しいです。

そうやって皆さんの経験や知識を集めて、保護者の悩みが解決できるコンテンツが作れたら素晴らしいと思います。

それらのコンテンツをわが子に野球をやってもらいたいけどどうしたらいいかわからないという悩みを抱えた多くの保護者の方に届けることで、一人でも多くの子どもが野球に触れる機会を増やせたらと思っています。

最終的には日本の野球人口の増加に貢献して、僕の発信を読んでくれた人のお子さんが将来メジャーリーガーになったりなんかしたら、泣いて喜びます

ここまで理想を掲げてみましたが、野球を挫折した僕だけでは限界があります

Xを通じて、皆様と交流しながらこのメディア運営を進めていけたらと考えていますので、仲良くして頂けると嬉しいです。

なにとぞ、よろしくお願いいたします!

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